自分の感覚を人に押し付けていた話

王子です。最近、思うことをつらつらと書きます。

”自己肯定感”という単語を最近は目にすることが多くなったような気がする。

簡単に言えば、自分のことが好きか嫌いかということだと思うんだけど、目にする機会が多くなったということはこれに悩んでいる人もそれだけ多いということなんだろう。

かくいう自分もその内の一人だった。

自己肯定の反対って自己否定なんだろうか。自分のことを褒めたり認めたりするのがとにかく苦手で、嫌なところや欠点を見つけるのが得意というお手本のような、典型的な自己否定系男子であった。だけどそれを隠すためにスマートに見せようと頑張ったり、いろんな女性と遊びに行って男としての自信をつけようとしたけども、どれも付け焼刃的な努力だったなと思う。テスト前の一夜漬け的な、自分嫌いな根本は変わらず結局そこにいつも戻ってくる。

そんな自分がNCG zeroと出会い、自分の根本にあった言葉を見つけながら、拾いながら、自分自身が前向きに変化していくのがわかった。その変化が面白くて、かつ人が別人のように変わっていくのを見て自分もメンバーになりたいなといつしか憧れていたわけで。

↑はゲストとして参加していた頃のナガヨシ。若い。

話が逸れていきそうなので、タイトルの話。

結構、僕は気が長いほうだと思う。何かトラブルや災難があっても仕方がないか…、で済ませてしまう。人からなにかされても故意でない限りは許してしまうことが多い。もちろん、なんで?という話はするけども。

仕方がないかを更に言い換えると、「自分さえ我慢すればいいんだろ」があったし、ずっとその感覚で生きてきた実感がある。

そして気づいたんだけど、僕は無意識にこれを相手に求めていた。

わざとじゃなくて自分なりに頑張ったんだから許してよ。ということを無意識に相手に押し付けていて、だから感情的になる人に対して、「なんで分かってくれないの?」みたいな反応に行き着く。

チームって”結果”の為に動いていて、そのために厳しい言動をする、される場面ってあると思うんだけど、上に書いたような感覚がどこかチームとの距離を作っていたなと感じた今週。

年末に向けて多忙になってきますが、チーム一丸となって物事も自分も乗り越えていきたいところです。

みなさま、良い週末を。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です