
ご覧ください。
この狂気と混沌。韓流アイドルの様な短パンを履かせられ、仕組まれた自由にもがく少年の一枚の写真を。
平成5年3月25日、トミー少年の卒業式の一枚である。
それは、短パンからの卒業でもあったのだ。

短パン、ハイソ、学帽、そんな縛られた世界の中で、彼は学帽を投げ捨てた。
前髪を真っ直ぐに切られ、少年の目は何を語っていたのか。
それは、彼なりの帽子ヘアーだったのかもしれない。

そして、彼の仲間たち。
きっと、現在40歳になるであろう彼らは、もう短パンを履けない。
きっと、履いたら職質されるだろうから。
いつか将来、短パンで集まろう。
そんな事は、語り合わなかった。

最後の短パン、白ハイソックスを思う存分楽しんだ彼ら。
彼らの目には希望の光の中に諦めがあったかもしれない。
そして、トミー少年、ポージングが最先端である。

話を戻そう。
トミー母との一枚。
母の身長は150センチ。
いかにトミー少年が小さかったかお分かりいただけるであろうか?
トミー少年はクラスで一番小柄な男であった。
ゆえに、前にならえは、手に腰と自然に今でも手が動く。
だから、いつも先頭であった。

卒業式でもこの有様である。
まるで、自分が制服をデザイナーしたドルチェ&ガッパーナのランウェイのように、
歩いてるではないか。

修学旅行でも、このポジショニング。
高崎山の猿と間違えたカメラマンが配置したのか。
校長、よく許したなそのポジショニング。
彼は、常に体制や組織に反抗していた。
その苦しみが如実に現れた一枚である。

そして現在。
40歳になった彼はこう語る。
「僕にとって卒業というのは、どれも何の意味ももたなかった。ただ、それは仕組まれた時代の中で、奴らの小さな檻の中からの形式的な解放であり、
その象徴が短パンという鎖。いや、そんな大げさなものでは無い。もしかすると、僕らだけに見えていた幻想かもしれない。
それは、まるでこのパンケーキに乗ったバターのようにね。」
今日も、トミー少年はあの日と変わらず生きている。
美容室に行けば前髪を揃えられ、夏になれば短パンを履かせられて生かされている。
それは、きっとこれからも変わることは無いであろう。
~fin 「トミー少年のゲリラ日記~1993年卒業の記録~より抜粋(NCGzeroブック)」
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