……何を隠そう、3歳のナガヨシである。
意気揚々と三輪車を乗りこなし、希望溢れる未来を指差している。はみパンしながら。
散歩や近所の友達と遊ぶときは、母と共にこの三輪車で出掛けていたという。お下がりでボロボロだけども、”兄が使っていたもの”であれば、とたんにカッコいいものに変わった。その後、少年の愛着は三輪車から青い長靴へと移るのだが..
さて、今回のブログテーマは「私のルーツ」 。
自分の名前について考えたい。
僕の名前は”博貴(ひろたか)”。
名前なんて単なる記号だ、なんて冷めた捉え方も出来るが、僕は決してそう思わない。親が子供の幸せを願って必死に考えた一番最初のプレゼントなのだから。
ふと疑問が浮かんだ。僕は”博貴”という親からの期待に応えられているだろうか。
僕は昨晩、親にLINEしてみた。
「名前の由来って何だっけ?」
返事がきた。
「急になに?ところで、あんた次はいつ帰ってくるの?」
まったく恥ずかしがりな親である。そしてしっかりその血を自分が引いているのだから笑ってしまう。
結局は、自分の前世の見てもらったり、漢字の画数などで”博貴”と決まったとのことであった。前世がバッタでないことを祈るばかりだ。
親の期待に応えれなくても”博貴”が元気に生きていればそれでいいのかもしれないな、とやり取りをしながら思った。
両親を愛している。
(おわり)
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