「知っている」に意味はない

ホリケン。’22(トゥートゥー)こと、チョイ悪亭HENTAI紳士のホリケンです。
今日(3月17日)福岡では桜が開花しました。
平年より1週間から10日ほど早いらしいですね!

日本人は桜から色々な感情を呼び起こします。
つぼみが次第に咲き始め、三分咲き・五分咲き・七分咲きになる期待感。
そして、ふさふさと実るような満開の嬉しさ。
満開の桜には昼間見る淡さと、夜桜の人の気を狂わせる妖しさがあります。
満開はわずかな時間で、雨風であっという間に散っていき葉桜になる姿に無常を感じます。

最近ですね、「知っている」ってそれほど意味がないことだと最近思い始めました。
知識偏重型のわたしは「知っている」いうことでわかった気になっていました。

例えば今書いたような桜のサイクルは知識的に「知っている」のですが、そんなことは大したことではないのです。
それより、桜を見ることで単純な言葉で表現できないような感情があふれ出ることの方がはるかに大切だと思います。

モーツァルト交響曲第40番はモーツァルトが書いた交響曲の中の2つしかない短調の曲の1つ。
ついこんな講釈をしたくなるわたしですが、そんな情報はどうでもいいのです。
頭を空っぽにしてこの曲を聴けば恐らく誰でも哀しみを感じます。
それは人間の根源的とも言える哀しみです。
人間が生まれ、病を得、老いて、死ぬ。
その哀しさ切なさを感じることが知識などよりはるかに大切なのです。
歌詞がない音楽だからこそ、この哀しさはどこの国の人にも子どもにも伝わるのです。

写真はこんな感じで文章とミスマッチかもしれませんが、とにかくあるがまま感じることの大切を思う今日この頃なのです。

ということで、ホリケン。’22(トゥートゥー)こと、チョイ悪亭HENTAI紳士のホリケンでした!

次回もよろしくお願いします!

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