
こんばんは、欲望ブラックホール由美です。
「鳥は空気が見えない。魚は水が見えない。人間は自分が見えない」と言いますが、本当にそうですよね。
三つ子の魂百までで、無意識に自分の生き方になった言葉は、全て当然の事だし、自分にとって正しいことであって、疑問に思うことなんてない、絶対的なこと。でも、この自分にとって「正しい」「絶対」が人との対立を創るんですよね。
私達NCGは、全てのことを自分がつくった事と見て話し合います。環境や状況のせいでそうなったのではなく、元を正せば、全て自分の会話通り。そうかな?と思うかもしれませんが、これが真実なんです。
最近、少しですが、自分の会話が変わってきたのを感じています。今までは自分の手柄にしたい!自分が賞賛されたい!ばかりだったのですが、この人の力になりたい!の気持ちが出てきたのです。陰の力みたいな。
ここまで来るのに長年かかりました。わたくし、50ですから。
でも、それくらい、三つ子ノ魂はしぶといのです。まずは自分がどんな言葉で生きているのかに気づく。それは人と深く関わる中から見えてくる。一人では絶対に気づけないのです。
最近他にも、ふと「ま、いっか」と以前ならこだわっていたことをこだわらなくなっている自分に気づくことがありました。なんか、こっちの方が楽で楽しい!
今までのいろんな思い、経験がいつかこうして形になって現れる。見えないけど、確実に自分に吸収されている言葉たち。
一生をかけて、どんな言葉に変化していくのか。そう思うと、ワクワク、楽しみですね!
コメントを残す