自分は何者にもなれないし、何者も自分にはなれない

高身長低姿勢のかしこまり王子ナガヨシです。

おはなみビレッジに来ていただいた皆様、いつもありがとうございます。
最近は縁(えん)について考えていて、頭の中を言葉にするのにいい機会だなーとブログに書いてみます。

縁‥
・【仏語。結果を生じる直接的な原因に対して、間接的な原因。原因を助成して結果を生じさせる条件や事情。】
・【そのようになるめぐりあわせ】

自分がこの世に存在することの凄さ。
もしも両親が出会ってなければ、当然自分は生まれていなかった。

出会ってからも、母か父どちらかの性格や価値観が違えば、金銭感覚が違えば、礼儀作法がテキトーだったら、仕事・趣味が違っていたら、結婚には至らなかったかもしれない。

母と父の縁で僕は生まれた。

そんな偶然な出会いと誕生を、両親だけでなく、祖父母、そのまた先祖、と延々と遡れる訳だから、自分がこの世に自分として生まれたことは、実はとっても奇跡的なんだなーと、いつかどこかで聞いたことのある話をようやく実感している。

そして、そんな奇跡の存在は自分だけじゃなくて、すべての人間がそうなのであって。

家族や親戚、職場の人や恋人、友人。出会って繋がるだけでも、ものすごい縁なんだなと。

そう思うと相手の存在自体に感謝だったり、承認だったりが自然と湧いてくる感じがある。
喧嘩したり、ぶつかったり、馬が合わないなんてこともあるかもしれないけど、せっかく出会っているんであれば、ありがとう!が先にきてもいいのかなーと出てきている。
とはいえ、感情がややこしくするんですけどもね。

20代は何者かにならなきゃいけないと思っていたように思う。
かっこよさ、豊かさ、自信や誇り。
自分に無いものを、欲しがって追いかけていた。

でも、自分は何者かにはなれないし、何者も自分にはなれない。

そこに気づいたときに、等身大の自分を認めて、未来を見つめるようになった。
人を力づけられるようになりたい。そんな最近。

追伸
両親の初デートの時の父の服装はとってもダサかったらしい。よく結婚したな!!

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