松浦宏明ヒストリー

zeroに出会うまでの人生

公務員の父と、専業主婦の母との間に二卵性双生児の兄として生まれました。父は私が10か月の時にガンで亡くなってしまって、物心ついた時には母と弟との3人の家庭で育ちました。

冒険しない、失敗を嫌う性格の私とやんちゃに挑戦していく性格の弟。双子ということもあって常に周囲から比較されて生きており、互いもライバルとして競い合っていました。母親がとても厳しかったため、失敗しないように弟を先に泳がせておいて、様子をみてから大丈夫そうだったら自分も同じ道を進むという生き方をしていました。あと、母と弟がよくケンカするので、ひたすら 仲を取り持つ役目に徹して自分を守ることをよくしてきましたね。

生まれは福岡県の春日市で、武蔵台高校に進学しました。ある授業で、福岡県久山町にトリアス久山を誘致した方が外部講師として公演されたのをきっかけに地域創生や街づくりに興味を持つようになったんです。そして、福岡大学の工学部に入学し、その後も街づくりをしたいという視野から土木業界に就職しました。

そこでも冒険しない性格(波風立てたくない、穏便に生きたい)が出ており、企業選びは給料面が優先でありました。常に自分に自信がなかったために、お金や資格を重視した企業選びを行っていたんですよね。その自信のなさの一番の理由は、当時は女性と御付き合いを全くしたことがなかったからです。あと、ケンカしても相手に勝てなかったり、僕は頭が良いわけでもないから「魅力がないなー」と世界の底辺に居るような気持ちで落ち込んでいった時期もありましたね。

転機が訪れたのは、入社して3年目のこと。広島でダムの積算の業務を任されることとなって、経験がない業務だけに仕事内容は全く分からず。怒鳴られる毎日を過ごしていたんです。ストレスや不安から眠れない日々を過ごし、人間関係も作れずに一人で憂鬱を抱え込んでいました。一方で、入社時から貯金をしておりいよいよ目標金額に到達したのもちょうどその時でありました。しかし、お金はあっても親友はおらず、彼女も居ない自分を見たときに「お金があっても人生は幸せではない」ことに気が付いたんです。貯金が目標額に達したことで、次の目標が現状からは見い出せず、自分がやりたかった街づくりとは一体何か…?という疑問が生まれました。

父は31歳の時に病気で亡くなり、自分もこのままの生活で過ごしていたら父と同じ歳で亡くなるのでは?、と頭に過ぎった時、初めて自分を変えたい!と思ったんです。そのタイミングで弟から「世界で一番幸せな朝ごはん会」に誘われたのです。

 

zeroとの出会い

初めてのイベントは「世界で一番幸せな朝ごはん会」でした。朝ごはん会に抱いた印象は、感動!!!「こんなに温かくてアットホームな空間があるんだなー」という安心感に包まれました。

zeroのイベントに参加しだして、自分が話してもいいんだと思えるようになった喜びは今でも覚えています。

そして、そのタイミングで広島から福岡に転勤となり、zeroのビッグイベントに参加することができました。「ゴドーを待ちながら」というイベントで初めて、これまで父がいなかった寂しさ、母にもっと甘えたかった気持ちを人前で話したんです。話した僕は涙していました。何でも話を受け入れてもらえる空間の存在を感じて、「自分がやりたかった街づくりはこれだ!」と思ったんです。このとき、人と人との出会いの場を創りたい!と感じました。

 

zero入り(きっかけ)

zeroのビッグイベントなどに参加する中で、zeroに入りたいという気持ちは固まりつつありましたが、決めきれない自分がいたんです。仕事と両立できるだろうか、朝のミーティング等は間に合うだろうか、といったことが不安でした。

ある時、zeroメンバーのミーティングに参加させてもらった時にそのタイミングがやってきたんです。

「宏明はいつzeroメンバーになるとね?」声の主は理事長の松田幸和子(愛とムチの二刀流ド天然理事長さわこ)さんでした。

仕事との両立が不安であることを正直に打ち明けました。朝のミーティング後は仕事に間に合わないことを話してみたら、松田さんは「ミーティング後、車で送ってやれば仕事も間に合うやろ?」とあっさり言われました。その瞬間、「zeroに入ります!」と僕は答えていました。

くよくよ迷っていた自分の背中を松田幸和子さんに押してもらってのzero入りでした。

 

zeroに入って変わったこと

人前で話せるようになったこと。

学生時代は人と話すのが本当に苦手で、特に女性にはそれが顕著でありました。人付き合いもどこか割り切っていて、良く言えばクールに悪く言えばドライな感じの振る舞いをしていたと今になって思います。

根本的に「自分みたいなやつと話しても相手が面白いはずがない。」という冷めた気持ちがあって、どちらかといえば自分から人との距離を保っていました。「これ以上は入ってくるな!」というバリアがあったんです。

その反面、「面白くないといけない」というふうにも思っていて、友達が多い弟との勝ち負けをすることもあるんです

「ひと笑いくらい 提供しないといけない」

と、常に その言葉が頭にあります

zeroで自分の話を何でも赤裸々に話していくうちに、「自分は人前でも話していいんだ」と内面で自分に許可が出せるようになったし、人を笑わせるのが好きな自分にも気付きました。100人近く集まるイベントで司会をやっている今の姿は、昔の自分だったら想像できないだろうなーと思います。

 

ニックネームのわけ

「人生保守党代表ベビーフェイス宏明」

失敗したくない、リスクを負いたくない、失敗するくらいなら冒険はしない、といった安定を求める性格から「人生保守党」。また、童顔のために「ベビーフェイス」と付き、その名をいただきました。

名付け親は「純粋な浮気者トミー」こと吉冨俊さんです。あだ名を聞いた瞬間、吉冨さんに見抜かれてるなーと思いましたね。

よく公務員に見られて、自分が失敗しないだけでなく相手にも失敗させないようにしていて、死守することに力を注いでいたんです

でも最近は、このあだ名を胸に、冒険を求めて枠から飛び出たい!と思うようになりましたね。

 

今後の目標

今後の目標は、zeroファームの事業化することです。これまでの人生で農業に携わったことがありませんでしたが、種から実になり、それを収穫して命を戴くという経験に “ 生きる力 ” を感じました。農業を通して、生命に触れてもらう機会を作っていきたいと思っています。あと、農地で収穫祭などのイベントを行ったら楽しいだろうなーと考えています。

また、学生時代から夢見てきた街づくりとzeroファームを関連させることが今の自分の夢のひとつでもあります。

そして、なにより仲間づくり

zeroに出会うまでの自分は、人との距離を保ち、常に上下関係を作って生きてきました。人とぶつからないことで楽でしたが、どこか孤独感を抱えて生きていたんです。zeroと出会ってからは、その価値観が一変しました。人を育てるためにも変わりたい!何でも話し合える最高のパートナーを作りたい!そのためには"愛情をもって、お互いを生かしあっていきたい"と今では心から思っています。