長井正文ヒストリー

幼い頃の私と母

母親にとっては(当時は高齢と言われる)36歳で産んだ大切な一人息子で溺愛されていました。どこに行くにも一緒で習い事もついて行っていました。

そして、私自身も習い事をたくさんしていました。
ピアノ・水泳・習字・英会話・公文、母に言われて仕方なく通っていたので、「みんな遊んでいるのに、俺は習い事がたくさんある」と思っていました。お母さんの言うことは絶対だから、「遊びたい!」と言えなかったんです。

小学校5年生の時に、引っ越しと同時に 今までずっと一緒だったお母さんが働きに出ていなくなり、いきなり鍵っ子になり、毎日テ-ブルの上に千円が置かれ、突然の環境の変化に戸惑うばかりでした。
転校した学校になじめず 友達を作る為にお金を使い、そのお金は親からくすねていたんです。悪いことだと分かっていたけど、友達もあまりいなくて、くすねたお金で買ったお菓子で釣っていたんです。「友達に嫌われたくない!」という思いから、夜中に家族が寝静まった頃 親のカバンのもとへ忍び足で近づき、財布から千円抜いていました。

zeroとの出会い

「NCGの社長がお父さん」
複雑な思いです。とにかく凄い人!!ひとりの人として、これだけ人のためにする人はいない。「もっと欲を出してもいいのにーっ」と息子の立場から思っていました。自分の人生を人のために捧げる生き方、息子としては父の存在がとにかく凄すぎる、その反動で ひとりぼっちにされた恨みから高校生ぐらいから反抗してグレました。短大も1年で辞めフラフラし、夜の街 中洲で働き始めて昼夜逆転の生活でした。自分の部屋は鍵をかけ、顔を合わせることも少なかったんですが、父が 毎朝 扉越しに話しかけてきて見守ってくれていました。ときには、父の声かけに「うるせぇっ!!!」と怒鳴ってしまいましたが、後々思い返すと ありがたかったなぁと感謝です。ほとんど父から怒られたことがなかったなー、あ!一度だけ 母に向かって「クソババァ!!!」と言ったことがあって、その時は 激怒されたのを覚えています。

19歳で親とは絶縁状態になり、彼女の家に転がり込んで1年間同棲して、21歳でデキ婚しました。

自分の家族が欲しかった僕は産まれたばかりの長女を高々と抱き上げ、父親に見せましたが、父は何も言いませんでした。「孫の顔を見せれば許してもらえる」と思って期待心で会いに行ったのに、そんなに甘くはなかったんです。それから、どうにか許してもらって、イベントや勉強会にたまに参加するようになりました。
24歳の時に不動産業の仕事をしていたんですが、ボーナスが出なくなり収入が減るのが厳しかった。再び転職しようと思った時に、家を出た後でもzeroメンバーである 松田(愛とムチの二刀流ド天然理事長)さんと連絡を取っていて、相談しました。「もう、戻ってきてもいいんじゃないの?」と松田さんに諭されて、NCG(ナガイコミニケーショングループ)のプロジェクトである「田ぐり庵」に就職するというかたちで親元(NCG)に戻ってきました。

 

zero入り

“ 新しい出会いを求めて ” 「イベントやろっかー!」と、松田幸和子(愛とムチの二刀流ド天然理事長さわこ)さんの一声がきっかけで、当時 田ぐり庵で働いていた私もイベントを運営することになりました。今思い返せば、それが 私のzero入りです。

zeroイベントの前身となる「ダイアローグカフェ」に参加した時は、普段そんなフレンドリーに話しかけられる事も無いので、どんどん仲良く話しかけられる事に疑心暗鬼になって見ていました。
そして、はじめは自分は喋れる方だと思っていたんです。いざ友達創りを始めると喋れると思っていたのは、ただペラペラとお喋りするだけで、本音を語ることが出来ていないことを痛感しました。
本音が語れていない事が見え、親への不満、自分がいじめられていた事を26歳で初告白して自分の中にある本当の本音を言えた時に自分の周りには本当の友達は居ない事に気付きました。
周りのzeroメンバーが友達創りをドンドンやっているのを見てみんなのようになれたらいいなと思い苦手だったけど友達創りをやるようになりました。

zeroに入って変わったこと

以前 いじめられていて、人を信用できずにいたので、誰か困っている人がいても「他人なんか知るもんかー」と思っていたんです。そして、何しても続かない、人の心の温もりがよく分からなかった自分が大嫌いだったんですが、友達創りをやり続ける根性を認められるようになり、それと同時にだんだんと自分のことが好きになってきました。人への愛や想いやり、人の気持ちが分かるようになってきたんです。人と本気で会話する、メッセージしていきたい!と思うようにもなりました。あと zeroに出会う前は、誰かと共同で何かつくるということがなかったので、zeroメンバーとなってチームを組むようになり喜びも感じています!

ニックネームのわけ

私のニックネームは、「ゴマすり太鼓持ち 若頭正文」です。いじめられっ子だったので友達が作れなかったぶん、“ ゴマをすって ” 人間関係を作って生きてきました。人が怖かったから、カモフラージュの為に体格をよくして怖く見せていたのが「若頭」の由来です。

そして、ドラマ「ミナミの帝王」にも憧れていました。
その頃は今とは違い体が細身だったので、強く見せたかったんです。

あと、相川翔さんがテレビ出演していた「仁義なき戦い」も好きで見ていました。ファッションとかも強面にして、まぁとにかく強く見せようとしていましたね。

今後の目標


小さな頃から海外への憧れがありイベントや仕事をやってみたいです!今、田ぐり庵で営業をしているのですが、お弁当文化を海外へもっていき、盛り付けやお結びの良さも広めたいです。また、人間関係のつくり方や友達づくりが学べる場所をつくることも目標です。zeroがやっている朝ごはん会のようなホームルームがあるフリースクールをやりたいです!