松田幸和子ヒストリー

zero発足までの人生

松田家に末っ子として誕生

私は三人兄弟の末っ子として生まれました。上には姉と兄。祖父母、両親と一緒に住んでいたので7人家族でした。
祖父は優しい人でしたが、祖母はとても強く、祖母の言葉が絶対!の家でした。家に友達を連れて行ったら、まず祖母の前で正座して挨拶から始まるんです。そんな環境に育ちました。

兄は唯一の男という事もあり、跡取りとして重宝され、姉は内孫の初孫で可愛がられ、親からもちゃんと人として認められていましたが、私は、親から「あんたは黙っときなさい!」と言われ、とにかく大人しく主張しないように生きてきたなぁと思います。今からすると想像できないかもしれませんが(笑) でも、私としては姉の後ろをとにかくくっついていればなんとかなったし、 「しゃべらんでも生きていける。人と合わせていればいいや」という感じで日々を過ごしていました。特に我慢していた、という感覚は無く、あまり何も考えずのほほんと生きてた。というのが正直なところです(笑)。

自己主張をしなかった若い頃の私

中学校時代は、バレーボール部に所属していたのですが、特に自分の意思で選んだわけでもなく、身長が高かったため誘われたから、という理由。軽い気持ちで「やってみるか〜」と始めました。
高校を選ぶ時も特にやりたいこともなかったので、「お姉ちゃんと同じ学校でいいやー」という理由だけで決めました。
母親に家が遠いから部活はダメだと言われていたのですが、また声をかけられてバレーボール部に入りました。それもただ誘われたから。ただ人の期待に応えたかったのでしょうね。
「女は勉強をするな。口が立って主張するようになって、ロクな女にならない。」と祖母が言っていた言葉通り、勉強はあまりせず、主張もせず生きていました。

その後の進路も、自分で何かをしたい!というよりは、なんとなく流されて決めました。料理は好きだから調理師になって飲食店で働きたいと言ったら親に「水商売はだめ!」と反対されました。一方、母の姉が家庭科の先生だったので、学校の先生になろうかと思ったのですが、学力が足りなかったので、妥協して選んだのが栄養士。そんなこんなの理由で、栄養士になるために短大へ進みました。

短大卒業後は栄養士として、保育園の給食を作る仕事につきました。

人生の転機

23才の時、ふとしたきっかけで、現在のNCG(ナガイコミュニケーショングループ)のプログラムと出会ったんです。人生の師である長井社長との出会いもこの時でした。 ただ、その時から「劇的に人生が変わった!」という事もなく、それなりにしゃべれるようになったし、やりたいことも少しずつできるようになってきたのでまぁよかったっていう感じでした。社長をはじめ、面白い人たちばかりだったので、関わり続けたのです。

プログラムに関わっていく中で、「私の人生本当にこれでいいんだろうか?」って考えるようになったんです。その時は栄養士として働いていたんですが、その職業を選んだ理由って、自分が本当にやりたいというより、親が納得してくれるからだったからだし。「 じゃあ、やりたい事ってなんだろう?」って考えた時、「ケータリングをやってみたい!」って思ったから、栄養士を辞めてフレンチのお店で働き始めたんです。 そして1年が経った頃、転機が訪れたんです。 長井社長から「スタッフにならないか?」と声をかけられて、思い切ってNCGの前身ヒューマナイズに入社したんです。それからアシスタントや責任者などにチャレンジし、人間力を学び、自分を探究してきたんですが、学ぶだけではダメだと感じるようになりました。実践を重ねる必要があると感じた時に、仲間たちとともに田ぐり庵というお弁当屋さんを立ち上げました。1997年のことです。事業を通して自分自身も仲間たちも大きく成長しました。

そんな中、2009年に、プログラムの中でダイアローグ(対話)という言葉に出会いました。ダイアローグとは、まずあることを正直に話し、人が話すことを否定しないことを根本になんでも話し合うというものです。みんなの中でこれは言っていい、言ってはいけない、などの規制があったのが解放され、何を話しても良いんだ!なんでも話し合っていこう!と自由になりどんどん人が開き、成長して行ったのです。

ダイアローグの喜びや自由さをみんなに知って欲しい!みんなで何でも話せるスペースをつくりたい!そう思った2010年の夏。 数人の仲間と共にダイアローグカフェをスタートさせたのが始まりです。

 

zeroを立ち上げようと思った理由

第1回目のダイアローグカフェは40名程度。その中での会話は自由で楽しく、初めての方もリラックスして自由に会話されていたのを覚えています。その後、ダイアローグシェアショーという名前でシアター型の場所でイベントをしたり、もっと話しやすいイベントにしよう!と別の場所に移動したり、色々と試しながら定期的に開催していく中で、第5回目のダイアローグカフェでは、会場である会議室がいっぱいになる100名を集めるまでになりました。そして、一緒にやりたい!という仲間もどんどん増えていきました。

2011年には「世界で一番幸せな朝ごはん会」をスタート。最初は十数名の参加でしたが、現在は毎週40名を超える参加者で満席の状態!今や200回も続く定番イベントとなりました。

2012年には、男女が話合いから出会う人気イベント朝バナの原型「朝コン」をスタートさせました。 2013年にはJRの電車を使ったイベント「朝コン列車」を成功させる事ができました。そうした企業や自治体と協力していろんなイベントをやっていきたいと思い、みんなで話し合った結果、特定非営利活動法人NCGzeroを設立したのです。

朝コンも発展して、今では朝バナという名前で毎月1回100名が集う大人気イベントに成長しています。

 

zeroで変わった事

えっ?変わったこと?...うーん、あっ。優しくなりました(笑)人といるのが楽しくなったし。あと、ヒラメキ力は前と比べれば雲泥の差ですね!誰かが発した言葉に「いい事思いついちゃった♡」ってニヤッてなるんです。自由に発想が出てくるようになったんですよね!だから、交渉事も楽しくなったんです。企業や自治体の方との話し合いの時にいろんなアイディアがポンポン出てくるから相手を口説くのが楽しくて楽しくて!それからNCGzeroでは理事長という立場をとらせていただいてるので、みんなをまとめようとするんですが、なんせ個性の強いメンバーばかり。最初はどうしたもんかと悩んだりもしましたが、今ではその個性を生かしたチームづくりができるようになりましたね。1対多数でも物おじしませんし。以前は、話さなくてもいいと思ってましたが、今では話さんと始まらん!と感じたままを言葉するようになりました。

ニックネームのわけ

まず最初についたのは「啖呵のお幸和」。常に啖呵きってましたからね。メンバーでも切られた方は数知れずです。
なぜ啖呵を切るようになったかというと、いわゆる極妻です。「アンタ等、舐めとったらあかんで!」これに憧れてました。 この啖呵という言葉には、居直る、一歩も引かないという意味も込められてますね。 今のニックネームは、愛とムチの二刀流ド天然理事長さわこ。ようやくみんな、私の愛を感じてくれたらしく、「愛」というキーワードがつきました。むしろムチを打たれないと愛を感じないというメンバーもいるんですけどね。ド天然は、そのまんま天然で言い間違いの女王と呼ばれてます。エピソードは数知れず、名言(迷言)もたくさん残してますので、それは他のメンバーから聞いてください(笑)

 

今後の目標

現在zeroの中でパートナーが出来始め、ただの結婚相手とかそういうのではなく、人生のパートナーとしていろんなプロジェクトが立ち上げ始めたので、それを応援していきたいですね。みんな一人一人が立場をとって、事業者として生きはじめた姿は嬉しく感じてます。イベントもいろいろやっていくんですが、たくさんの自治体や企業とコラボして、地域活性化は目論んでます。 こっそり進行させてるのがzeroランド計画。zeroファームプロジェクトもスタートして、そこに高齢者の方や子供たちも巻き込んで、年齢性別関係なく人が出会える場所をつくりたいんです。そこに他のメンバーのプロジェクトも加えて...と考え出すとワクワクがとまらないんです!あと、NCGで睡眠を探究してきて、脳活性や脳開発にはやはり睡眠は外せないことを実感してますので、そういった睡眠に関する研究所とかも創っていきたいと考えてます。もちろん実験者というか実践していくのは私たちzeroメンバーで、自分たちが実感しているヒラメキ力の進化や、脳の冴えを世の中の人たちにどんどん伝えていきたいです。
私のパートナー? そりゃ欲しいですけど、私に見合う相手がいないのが現状!我こそは!と門を叩いて欲しいですね。そのくらい人生に積極的で、求める姿勢、誠実な言葉。そして、共に人生を創っていこうと同じ志を持った人がいれば、ぜひパートナーシップを組みたいと思ってますので、皆さんよろしくね!(笑)