薄田常善ヒストリー

我が強いと言われて


私は新潟で三人兄弟の次男として生まれました。
地元は9割が農家でしたが、父は洋食器の研磨の仕事を営んでいました。
私はいつか思い出せないくらい昔から母のことが嫌いで、いつもけんかをしていました。
分かってくれないという気持ちが強く、口げんかで決して勝てないのに張り合おうとしていたのです。当時は四歳違いの兄と母が結託して自分をのけ者にしていると感じ苦しい思いをもっていました。
母や親せき、周囲の人々からは我が強いと言われずっと煙たがられていたように感じます。
家族で唯一心を許せたのは父でした。母に挑んで泣かされては自営で家の敷地内に工場のあった父のもとへよく逃げ込んでいましたよ。
また、その我の強さから学校生活ではなかなか友達ができませんでした。
中学に上がり、一学年一クラス38人だったのが一機に92名になりどうやって友達を作っていいのかわからなかったのです。
友達と外に遊びに行くよりは家に引きこもって一日中アニメを見ているような、ひとりが好きな子供だったと思います。幸いバスケ部に所属して部活動での友達はできましたが高校に進んだ際にバスケはあきらめました。あこがれていたMBAのスター選手たちを見て自分ではその域に到達できないと思ったのです。
それから大学進学を機に上京しそこで4年を過ごし就職もしましたが、「我が強くクソ真面目」だと言われるのは同じでしたね。

上司からの一言、NCGzeroとの出会い


就職して最初に配属されたのは営業でした。しかし三か月で挫折。退職しようと上司に相談したら、大型コンピュータを扱う技術職への異動を打診されたのが現在の仕事につながっています。
NCGzeroとの出会いは異動になってから数年たった頃のことです。会社もいくつか経験した中で、お客様との関係がなかなかうまくいっていないときに上司から「コミュニケーションの学校へいけ!」と言われたことをきっかけにWEBで「NAGAIコミュニケーショングループ(以下NCG)」を見つけたのが始まりです。職業柄日付を超えたり徹夜作業も日常の環境で睡眠も全然とれておらず、ボロボロだった自分にはNCGのプログラムは新鮮で、もっと知りたい!と思い通い続けることにしたのです。
通い始めて一か月で埼玉に転勤になりましたが、遠くから通うという似た境遇を経験された関原さんやメンバーに「通い続けなさい!」と咤激励され前日の夜中に空港へ→朝一番の飛行機で福岡へ行くという生活をつづけました。
プログラムに通い続ける中で、NCGのメンバーが開催している朝ごはん会やイベントにも参加するようになりました。それがzeroとの出会いです。

2018年11月、ついに福岡へ!zero入り


ずっと各地を転々としていましたが、会社と交渉してリモート(遠隔)での作業と出張という形で福岡へ引っ越してきたのが2018年11月。ようやくみんなと一緒に深く付き合っていけるようになった!と思っていましたが、現実はそうではありませんでした。
近くにいるだけでは人と仲良くなることも深い付き合いをすることもできなかったのです。
もっと深くなりたい、わからないことをもっと知りたい!その思いから2019年4月30日ついにNCGzeroに加入することにしました。
今(2019年7月現在)は自分が何にもできない人間なんだということがわかって衝撃でした。作業はできるのですが、zeroでは一つ一つの行動に何のため?があるのです。
まだまだ分からないことがたくさんありますがこれからも知りたい!という気持ちをもっていきます。

zeroに入って変わったこと


まだここは正直実感がありません。これから変わっていくことを期待しています!

ニックネームのわけ


純粋で、行動的で、異星人のような人物。というところから現在のニックネームがつきました。
私は現在54歳。自分ではピュアという言葉に引っかかってしまうのですが、(ピュアという言葉は20-30代のイメージで、未熟とか情けないイメージがあるのです)そこも受け入れていきたいと思います!

今後の目標


やりたいことはいくつかあるのですが、まだまだどれもこれからの段階です!楽しみにしていてくださいね!