河野卓郎ヒストリー

ビビりとコンプレックス

私は宮崎出身で、地元大手のホテルで管理職をしていた父と、テレビ局で働いていた母の間に生まれた。小さい頃からとにかくビビリで、幼稚園の頃、通園のときに犬を飼っている家の前を通るのだが、毎日「こわ~い、噛まれるかもしれん」と怖がっていて、毎日生きた心地がしなかった。また痩せていることが一番のコンプレックスで、気も弱くてなかなか本音が言い出せない少年だった。
そういう少年時代を過ごしたせいか、スーパーヒーローの様に強くなりたい、ウオーと燃えるような男になりたい、と心の片隅ではいつもそんな風に考えていた。だから、アクションスターのブルース・リーや鉄人マイク・タイソンのように強くなりたいと思い、体を鍛えることに夢中になった。高校生の頃に体育館のバーベルを挙げることが病みつきになった。
自分がトレーニングする分だけ強くなるし、筋肉がついて結果が分かりやすかった。しかし、体は強くなる一方で心は弱いままだった。高校3年生のときに後輩に自分の進路についてスピーチする機会があった。なんと800人の前で。そのときは声は上ずるし、足は震えるし、何を言ったのか覚えていない。
大学からは地元の宮崎を離れて久留米大学に進学した。もっと強くなろうと思って空手部に入り、さらに自分を鍛えた。胸板も厚くなったし、腕も太くなったのだが、「自分が本当に強くなったのか」と疑問だった。なぜ強くなりたかったのか?今振り返ると、女性にモテたい、自分に自信を持ちたい、人に勝ちたいからだった。
「海外旅行にいけるし、いいか」とお気楽な理由で、大学卒業後に福岡の地場企業である旅行会社に就職した。そこそこ楽しく仕事をしていたのだが、4~5年目のときに不満がでてきた。給料は安いし、サービス残業は当たり前、さらに休日出勤もある。「金にならんけんやる気がでらん、自分の時間がほしい」と不満が体中を駆け巡っていた。

zeroとの出会い

もとをたどると、NCGzeroの母体であるNCG(ナガイコミュニケーショングループ)との関わりが何年もあった。会社に不満を募らせていたときに、会社に出入りするお弁当会社(田ぐり庵)から「対話のイベントがあるから来ない?」と誘われたのが最初だった。田ぐり庵は教育会社であるNCGが作った食品加工会社で、私が誘われたイベントもNCGが主催していた。

田ぐり庵の商品はアッと言わせるものが多く、どんな会社なんだろうと気になっていた。また「たまには社外の人と話すのもいいか」と思い、行ってみることにした。行ってみると、想像していた遊びの雰囲気ではなく、コミニケーションのセミナーのようだった。何だか訳が分からなかったが、楽しく、明るく、元気になれる空間だった。
それから時々、NCGの対話のプログラムに参加するようになった。参加の頻度は1ヶ月に1回程度で、会社のストレスを発散されてリフレッシュにもなっていた。そういう感じで何年も関わるうちに結婚が破談になったり、「このまま会社員で人生を終わらせて良いんだろうか?」と迷いが生じて、自分の人生に目を覚ましたいと思っていた。そんな中、メンバーが新たに「とまと博」という飲食店と睡眠サロンのプロジェクトを立ち上げた。すると関原(シザーマウスくみこ)さんから、とまと博やってみたら?と声をかけられた。「こんな自分でいいんだろうか」と迷ったがやってみたい!と思い決意した。最初はまだ会社員を辞めたわけではなく、熊本の阿蘇出身の岡田さん(阿蘇から来た小悪魔リサ)が店長で、私がオーナーという形だった。ゆくゆくは自分も経営者として立場をとることになるのだが・・・。

「とまと博」プロジェクトが始まるのと同じ時期に、NCGzeroの前身にあたるダイアローグカフェがスタートした。ダイアローグカフェとは、その名の通り、対話して仲良くなって、友達を創ろう!というイベントである。私も断る理由もなかったので、軽い気持ちで活動に参加していた。活動を行うにつれて、NPO法人NCGzeroを設立しようという話がでた。私も皆がいて楽しかったし、持ち前の適当さも手伝って、何の責任をとることもなく活動を続けていた。

zero入り

zeroに入ったものの本当にやると決めておらず、流されるように活動していた。本気になりきれずに活動をしていたのだから、なかなか人と人間関係を作るのことができなかった。やはり私は根本的にビビりで、本気で責任を取ることが嫌だったのだ。
今振り返ると私の母は躾が厳しくて、ちょっとでも悪さをしようものなら、ゲンコツをくらったりお尻ペンペンされていた。今思えば私のビビりや緊張の原因は母だった。特に印象的だったのは、小さい時、友達と近所の塀の上を楽しそうに歩いていた。すると私だけが「危ないからやめなさい!」と降ろされた。友達からも迷惑そうな顔で見られるし、かなり嫌〜な雰囲気。「何で自分だけ。誰にも迷惑かけとらんのに」と半ベソをかきながら一人家へ帰った。

ずっと責任をとらずにズルズルと適当にやってきた私だったが、転機が訪れた。先日「世界で一番幸せな朝ごはん会」の責任者をさせて頂いた時に、自分の力の無さに直面したのだ。運営にあたってのみんなへの指示出し、時間読み、マネージ力等々・・自分は本当に力がなくて、今まで人の力で生きてきたんだと思った。このままじゃまずい!と危機感が走り、自分のことが情けなくなった。その時に本当に自分を変えようと思った。中途半端にやっていた自分のことが、一緒にやっているメンバーに対して本当に申し訳ないと思った。

zeroに入ってかわったこと


一つは、オンとオフが無くなったこと。前は「休みたい」と思いが強かったのだが、それが無くなった。休みだろうが何だろうが、ボーっとする時間はない。エーッと思われる方もいるかもしれないが、zero活動自体が楽しいのでストレスはない。
もう一つは、自分から人に関わるようになった。私は自分に自信がないものだから、体を鍛えることや空手に逃げていた。本音なんて話していなかった。もし、自分の本音をドーンと思いっきりブツけられていたら、体を鍛えたり、空手はしていなかったと思う。
私が本当に求めていたのは、自由に本音をしゃべること、人にメッセージするということだった。私と同じように話すのが苦手な人ともお友達になりたいとか、以前よりも人に対する好きとか嫌いが少なくなってきたように感じる。今は目の前の人と仲良くなりたいと思う。

ニックネームのわけ


私は「北大路魚山人テキトー卓郎」というニックネームがついているが、「北大路魚山人」というのは、私は魚が大好きで、よく柳橋連合市場に魚を買いに行っていた。福岡の有名どころのお寿司屋の大将や料理人さんと肩を並べて魚を選ぶくらいに魚(特に刺身)が好きで、お気に入りの刺身包丁で刺身を引いていた。でも一番好きなお魚はよくスーパーでお見掛けする「メザシ」。
「テキトー」というのは、私は宮崎出身で、南国育ちというのもあって、あまり小さなことにこだわらないというのが所以。
ある人いわく、私よりテキトーに行動する人は沢山いるけど、私の場合はそんな方たちよりも、凄く発言がテキトーなのでよりテキトー感の印象が強いみたいだ。本当は人一倍真面目なところがあるので、随分損な生き方かもしれない。

今後の目標


一番は友達づくり。営業マンをしていたので、当たり障りない話や表面的な話は得意だけど、人とぶつかったり、喧嘩したりが苦手。ぶつかるけど仲良しみたいな関係に憧れる。人生を茶化すような友達でなく、人生を戦っていく友達が欲しい。なんだかこの人と関わったら元気がでるよね、という人間を目指している。
私とお気軽にお友達になってください。よろしくお願いします。