藤枝洋子ヒストリー

感情を一切出さない子

戦後数年経って生まれ、家族は両親と兄、祖父母、叔父。父はサラリーマン。祖母と母はとても強い女性で、お金のやりくりなど当時は苦労していましたが、あまり愚痴もこぼさず家計を支えていました。そのためか私もわがままを言った記憶などなく、縄跳びや石けりなどして外で遊んでいたと思います。兄が大学時代に結核になり、人生に落胆して自らの命を絶ちましたが、その際強すぎるショックで涙が出なかったです。

自分の辛い過去に蓋をしているのか、まだあまり思い出せることがないのですが、当時から本当に感情は出していませんでした。ただ一度、母親に叩かれて怒られたことがあって、その時は何か怒りの感情があったのは覚えていますが。そのことだけなので、伸び伸びと子どもらしく喜怒哀楽を出すような子ではなかったようですね

最愛の人を亡くして

26歳の時に結婚したのですが、主人は本当にいい人で、優しくて穏やかで、家庭は平和だったと思います。ところが主人は職場の人間関係に悩んでいたようで、あまり詳しくは語ってくれなかったのですが、体調が悪いことは知っていました。彼が33歳の年に、役付けをもらったのですが、そこからさらにひどくなり、ノイローゼで病院に通っていました。薬ももらっていたのですが、それを飲んでなかったみたいです。回復することはなく、そのまま自らの命を絶ちました。

その時も、全く涙が出ず、ただあることは、「主人を守れるのは私しかいない。周りが主人のことを悪く言っても、私は責めたら絶対だめだ」という思いだけ。でも、本当の本当は泣き叫びたかったし、主人に文句言いたかったんですよね。「なんで私たち残していったんだ!寂しい!どうしたらいいの!」と。それさえ封印して我慢してとにかく働いて、二人の子どもたちを育てました。

幸い周りの方々に助けられ、亡くなった主人の職場関連で仕事をいただいたり、病院事務の仕事をさせて頂いたりして、子どもたちを育てながら働くことができたことは感謝しています。

外に出よう!

女手ひとつで育ててきた子どもたちも、もうすっかり大人になり、長男は結婚し、孫もできました。二世帯住宅を建てて、平和に暮らす・・・と思いきや、私の至らなさで、お嫁さんと上手く人間関係をつくる事が出来ず、側に住んでいるものの疎遠になってしまいました。そうなると、寂しさは一層増してしまいます。

悩んで家に居るよりは、とにかく外に出ようと思い切っていろんなイベントに出たりウォーキングをするようになりました。もともとフットワークが軽かったので、それが幸いにも私を救ってくれたのです。

その頃出会ったzeroメンバーの宮本くんに誘われて「世界で一番幸せな朝ごはん会」に参加しました。行ってみてビックリ!参加者の年齢層の広さと、その場で何でも言っていいという自由さ。メンバーの上田さんと仲良くなっていろんな話をしながら、恥も外聞もなく、心によぎったことを言葉として出す、ということを知りました。

そしたら、それにより自分が変われるのではないか?と思い始めたのです。先のことなんて分からないのにわざわざ心配しなくてもいいじゃない!とにかく進んじゃえばいいじゃない!って。人生は会話で創られることを感じ始め、否定は手放し、未来、未知という言葉にワクワクしだしたのです。だから分からなくても進もう!と思うようになりました。

喜怒哀楽を楽しもう!

今まで感情を抑えていたぶん、これからは感情を外に放出して生きていきたいですね。

洋服も地味だったのですが、見た目も変えよう!とアドバイス頂いて、おしゃれする自分を受け入れ始めました。それまで派手な色は似合うと思ってはいたのですが、何しろ恥ずかしくて着ることができませんでしたが、これもチャレンジ!思い切って着てみると、周りから褒められ、なんだか嬉しいです(笑)

これからの夢は、子どもと高齢者が触れ合うような場所を作りたいですね。同世代の方々と一緒になって、元気に盛り上げていきたい。そういう同世代が活躍する場を増やしたいな、と思っています!